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2018/07/30 30代体外受精

男性不妊妻の妊活

不妊なんて遠い世界のことだと思ってた

私は26歳で結婚しました。子供は20代のうちに2、3人産んで、30代半ばに仕事を再開したいと思い、専業主婦を選びました。ところが夫の病気療養のため、妊活を始めたのは結婚から2年後。当時、妊活という言葉がメディアに出はじめた頃です。夫の体調も戻り、夫婦生活も順調だったので、私は「流行りに乗ってる」くらいの気持ちで基礎体温をつけていました。その他に本やネットでの情報収集。国内の排卵検査薬は高く、身近で手に入らないので、ネットで個人輸入して使いました。自力でやれることをしたものの妊娠に至らず、逆に生理前に体調を崩すようになりPMSが酷くなる一方。

その年の暮れから近所の不妊治療専門クリニック(顕微授精のできる、私の地元で不妊治療といえばここという)に通い、ホルモンバランスを整える漢方薬を飲みながらタイミング法を試すことに。「今度は排卵日がきちんとわかるからすぐ妊娠できる」という軽い気持ちで毎月通院しました。

それから半年、ついに先生から「次の段階に・・・」という言葉を聞いて、自分の見通しが甘かったと痛感。ここまでの治療は私メインで、夫は何もしていません。結果が出ないことに対し、「もしかして夫に?・・・いや、そんなことない」とモヤモヤを抱えては打ち消す日々。夫には気持ちが言えず、あるニュースをきっかけに私の気持ちは爆発しました。妊娠できない焦りにようやく気がついた夫は、7月下旬、精液検査を受けることに。

検査の結果、「精子が少ない上に質が悪く、自然妊娠は難しい。顕微授精を勧める」と不妊認定。夫婦ともに不妊の原因がわかり安堵したものの、その時の夫の落ち込みようが今でも目に焼き付いています。最初は「無精子症でも父親になれたタレントさんがいるから何とかなるよ」と夫を励ましていました。

不妊はつらいよ

不妊について私はあまり隠すことなく、家族にも友人にも話しました。 始めは驚かれましたが、受け入れてもらえました。秋になり、久々に学生時代の友人達と会うことに。その時も近況報告ついでに不妊の話もしました。しかし、私より後に結婚した子達が妊娠、出産している現状を目の当たりにし、私の心境が変化が。

診断直後は「不妊はあまり特別なことではない」と思っていました。しかし、「普通ではない」と思い知らされたのです。平静を装いながら友人達と会話をしていました。が、心の中では「みんな旦那様に恵まれて羨ましい。なぜ私の旦那だけ…」と悲しい、惨め、いろんな感情が嵐みたいに吹き荒れ、帰りの電車で泣いていました。

その後は、友人や有名人の妊娠報告を耳にしては落ち込み、生理が来ては心の中で夫のせいにする、荒んだ日々を送りました。夫婦生活へのモチベーションも下がり、どうやって生きていたかさえ思い出せない。自分が原因だった方が楽だ。選ぶ相手を間違えた?夫を責めたくなくて感情のはけ口がない。もし、仕事を続けていれば・・・様々な感情が駆け巡り、とにかく辛かった。

それでも、夫は私を慰め、男性不妊外来に通ってくれました。母と気晴らしに出かけて話を聞いてもらうことで、私も少しずつ気力を取り戻しました。そこからルイボスティー、葉酸、マカ、骨盤体操に子宝祈願と妊娠に効果があるものは手当たり次第試し、来るべき治療に備えました。それに、不妊治療経験者の友人に出会えたことも心の支えになりました。

いざ、不妊治療へ

年が明けた2月、30歳で顕微受精に挑戦。毎日注射に通い、万札が飛ぶ。通院の度に金銭感覚が麻痺しそうになりました。でも、私はようやく手にした妊娠のチャンスにワクワクし、注射の痛みや副作用も楽しみました。それでも採卵日は緊張し、手術を待つ間看護師さんに足をさすってもらう始末。

採卵後もトラブルなく新鮮胚移植まで進み、いよいよ妊娠判定日。期待していた結果は…陰性。先生には「これからが勝負」なんて言われてもショックは隠せない。また落ち込む日々に逆戻りし、病院とも距離を置くことに。

5月の初旬、夫婦で旅行に行ったときのこと。夕暮れの山道をドライブしながら「辛いことたくさんあったけど、その積み重ねで今、こんな綺麗な夕焼けが見えている。時間はかかるけど子供のいない人生も受け入れられる。どんな選択をしても、いつかは美しい景色にたどり着ける」という思いが頭をよぎりました。

少し悟りを得た私は治療を再開。不妊治療に行くと思うと気が重いので、「今回の治療ではこの漫画を読破する」と決めて待ち時間に読んで過ごしました。翌6月に凍結胚移植し妊娠。前日にダメかもと覚悟してたので、「くっついてるよ」という先生の言葉に「嘘でしょ?」って放心状態。その後も切迫流産があり、妊娠を自覚したのは7月末。初めてもらう母子手帳にドキドキして何度も読み返しました。

産科に転院してからは順調そのもの。31歳になった翌年2月末、破水と34時間の陣痛の末、女の子が産まれました。

産後直後は現実味がなく、後処理を受けながら主治医に「体外受精から1年でここまで来れて夢みたい」と話しました。産後2日目の夜、我が子の顔をみながら「私、子供を産めたんだ」と同時に「これ以上を望むのはバチが当たるかも」という思いが沸き上がりました。最初で最後の出産を予感し、泣きました。退院の際、「また挑戦してください」という主治医の言葉にもうまく応えられず病院を後に。

妊活して見えた景色

子供を産んで、慌ただしく子育てして充実していました。子供が1歳を過ぎ、外に出る機会も増えました。公園で遊ぶきょうだいを見ると、心に穴が開いたような気分になりました。私はやっとの思いで1人産んだのに、周りのお母さんは2,3人産めている。子供を産めても不妊治療をしたことに変わりなく、そこに縋らないと次が望めない現実が重くのしかかりました。不妊の夫と夫婦でいる限り、これ以上の妊娠が望めない。そう思うと人生に軽く絶望を感じます。

2人目についてモヤモヤしていた矢先、まさかの自然妊娠。私も夫も両親も驚きと同時に喜びが爆発しました。しかし、妊娠8週で流産。とてもとても悲しかった。と同時に自然妊娠を過信していた自分に気づきました。自然妊娠でも不妊治療でも女性が子を宿し、この世に産まれ出ることは容易じゃないと、小さな命が教えてくれたのです。

自分の妊活体験を振り返り、「不妊が他人事ではない」「生まれることは容易じゃない」「出産が妊活のゴールにならない」ことを体感しました。私は諸事情から2人目を断念しました。子供が幼稚園に上がり、きょうだい連れで通園するお母さんを見ると今でも内心複雑です。でも、家族が増えた喜びを噛みしめ、自分の人生も大事に生きようと前を向きはじめました。不妊はつらいけど、こうして人に語れる経験が得られたのも事実。そういう意味では少し感謝できるようになりました。妊活を終えることでわかることや見える景色があります。家族と時間過ごし、重ねることで、いつか自分の妊活が正しいと胸を張れるように日々を過ごしていきたいです。

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