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2018/08/5 30代体外受精

新たな生命の芽生えの奇跡

妊活に踏み出すまで

『不妊治療』この言葉は、当時の私にとってあまりにも遠い言葉でした。私は、26歳で結婚しました。しかし、まだ遊びたい、自分のやり残したことをやりたい、という気持ちが強く先行していた私は、私自身の希望で子どもをつくることを先延ばしにしました。私には、ずっとやりたかった職業がありました。転職活動時、面接官に言われた『お子さんについてはどう考えていますか?こちらとしては、1年以上は働いてもらいたい』という言葉に迷いましたが、それでも、将来の為に新たな仕事の経験を積もうと決意しました。

私が『妊活』を始めたのは、転職して半年後でした。会社との約束を守る為、すぐに妊娠したとしても1年以上になるタイミングを狙って、妊活を解禁したのです。しかし、『妊活』という言葉は知っていたものの、詳細について調べることはしませんでした。もし出来にくい体質だったら・・・。自分を優先して、子どもを授かることを先延ばしにしたという判断を誤ったものにすることが怖かったのです。

特に知識もなく自己流タイミングで2ヶ月が過ぎました。何の結果も得られない事に焦りを感じ、近所の婦人科で診てもらう決意をしました。

突然訪れた不妊治療のスタート

そこは、不妊も診てくれる産婦人科でした。初診は内診と血液検査。そして後日、旦那と聞きに行った血液検査の結果で、早くも自分が不妊症である現実を突きつけたのです。「あなたが妊娠しづらい原因は、高プロラクチン血症です」。妊娠しづらいという言葉が頭の中で繰り返されました。「薬を飲めばすぐに正常値に戻ります。その為の薬ですから。では」と投げ捨てられた医師の言葉は忘れません。ここから、私の過酷な不妊治療がスタートしました。

まずはカバサールというプロラクチン値を下げる薬を服用すると共に、卵の質をよくするホルモン注射を打ち始めました。しかし、基礎体温もろくに見ず、薬や注射に関する説明も今後の治療スケジュールの説明も一切ない医師。そんな医師に疑問を持ち始めた私は、「他にも不妊の原因があるかもしれませんよね。その他の検査はしないのですか?」と勇気を出して聞きました。するとその医師から返ってきた言葉は、「あなたはまだ若いからそこまでする必要はない」でした。そして案の定、5度目のリセットを迎えました。これを機に転院を決意したのは、妊活開始から半年後でした。

不妊治療専門病院について調べると、どこも初期検査として大量の検査をすることを知りました。そしてその検査の中には、強い痛みを伴うものもあると知った私。注射や内診だけでも痛くて辛くて、それでも結果が得られないことに一喜一憂していた私は、この時初めて糸が切れました。『もう無理』と初めて大泣きしました。

少し休もうと数ヵ月妊活を休憩しました。好きな事をして、沢山遊びに出掛けました。そしてこの休憩の間に、自分が不妊だということを受け入れ、どんな治療も受け入れる決意をし、意を決して専門病院の門を叩きました。

明るみになった不妊原因と治療過程

初日、内診のエコーだけで私の子宮に問題があることがわかりました。その後、約2ヶ月に渡る検査で、様々な不妊の原因が明らかになりました。高プロラクチン血症、子宮前屈、子宮内ポリープ、左卵巣の癒着、高温期のホルモン不足、そして男性不妊です。私と旦那2人に原因があったのです。初めて男性不妊が発覚した時、ショックよりも『自分だけの責任でなくてよかった』という気持ちの方が正直大きかったかもしれません。後日調べてもらうと、旦那は精索静脈瘤で精子の数が乏しくなってしまう症状でした。旦那と一緒に努力する必要があることを改めて知りました。タイミングでは結果が得られないとすぐに判断してくれた主治医。まずは、着床しやすくする為に子宮内膜掻爬手術を受けることになりました。手術では麻酔をしたものの、術中も術後も物凄く痛かったです。病室で痛い痛いと言いながら、『綺麗になった子宮にきてね』と赤ちゃんにメッセージを送っていたことを今でも覚えています。

また、新たな試みとして雑誌に載っていた子宝の漢方堂に通い始めました。血の巡りが悪い為、卵巣機能が上手く働いていないという新たな私の改善すべき点がわかりました。ここでアドバイス頂いた体質改善法、食事療法は全て実施し、同時に大量の漢方の力で旦那の一緒に体質改善を行いました。

手術後、すぐにステップアップし、人工授精に取り組みました。私も旦那も毎月なんとか仕事を調整し、ストレスを抱えながら取り組みました。しかし、4回行った人工授精で結果が得られることはありませんでした。原因は、私の排卵が上手くいかなかったことと精子の数の少なさでした。

到底人工授精で成功する数ではないと言われました。ついに「この数値では、自然妊娠はおろか体外受精でも難しい。顕微授精しかない」と言われた日の帰り道。私は耐えられず駅で大泣きしました。こんなに頑張っているのに、どうしてと。旦那にも謝られ、2人で泣きました。そして、特殊な仕事に就いていた私は、職場の協力のもと治療を両立していましたが、顕微授精に進めば、通院回数が増え、さらに休みを必要となることから、仕事を手放さざるを得なくなりました。せっかくやりたくて始めた仕事。上司に退職の報告をした日、1人家で泣きました。それでも、やっぱり子どもが欲しい。その気持ちだけで、私達は仕事よりも顕微授精を受けることに決めたのです。

2人で体外授精・顕微授精の説明会を受講し、ついに顕微授精への準備が始まりました。AMH値(あとどれだけ排卵可能な卵が残っているかという数値)の検査をし、ロング法で1周期前から点鼻薬の服用を開始しました。次回のリセット後、採卵をするという流れでした。その前の周期は、体に刺激を与えてはいけないという事で、転院後初めて通院休暇月となったのです。今月はタイミングを気にしなくていい、痛い注射もない、好きなものを食べればいい、仕事の引き継ぎも終え、旅行も行けるというこの1ヶ月は、私にとって不妊治療をスタートしてから初めて訪れたストレスフリーな時間でした。

顕微授精 準備期間中の奇跡

あとは次のリセットを待つだけ。リセット待ちだった私に、リセットは来ませんでした。この1ヶ月で、なんと自然妊娠したのです。特にタイミングを合わせた訳でもなく、ただただ旦那と楽しく過ごした日々。退職最終日に陽性反応が出ました。自然妊娠は不可能だと言われてきた私たちは、喜びよりも驚きしかありませんでした。

1年以上に渡る不妊治療で、私は子どもを授かることの大変さ、そしてそれは奇跡であると学びました。いくら医療が発達しても、生命の誕生にはわからないことが未だにあります。ただ、結果として自然妊娠をすることができましたが、今までの治療は全て必然だったと強く感じています。高プロラクチンの薬を飲み、子宮内の手術をし、ホルモン注射を打ち、漢方で体質改善を行ったことが結果に結びついたのだと思います。

それだけでなく、今回私達の元に新たな命が来てくれたのは、好きなことばかりを優先してきた私が覚悟を決めて不妊と向き合い、受け入れ、夫婦がストレスなくお互いを思いやって過ごしたからだと考えています。

妊娠を願う皆様の元に、新たな命が芽生えてくれますよう、心から祈っています。

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