2018/07/7 40代人工授精

支え続けられた不妊治療の日々

夫婦に訪れた不妊という壁

私達夫婦は、結婚前から自他共に認める仲の良さでした。この人となら辛いことも乗り越えられる、そう思い結婚しました。不妊治療は、私たち夫婦に訪れた初めての壁でした。

妊活を始めて数ヵ月後、近所の産婦人科を訪れ、高プロラクチン血症である、と初めて自身の診断書に『不妊症』と判を押されました。学生時代からの夢。それは、尊敬されるお母さんになることでした。女性として生まれ、妊娠できることを前提に目標に向かって歩んできた私が受けた『妊娠しづらい』の言葉は、心に重くのしかかりました。

一方、一緒に来ていた旦那も私と全く同じ言葉を医師から告げられたのにも関わらず、捉え方は全く異なっていたのです。旦那から出た言葉は、『プロラクチンは薬ですぐに正常になるって言ってたじゃん。問題ないよ』。

その産婦人科で行った4度のタイミング法は、ことごとく結果に結びつくことはなく、日に日に増す焦りを抑えることができませんでした。

次のタイミングで上手くいかなければ転院しよう、と考え迎えた最後の周期は年末でした。いつもより2日遅れたリセット。なんだか体調も悪く、吐き気も感じる気がする…。根拠のない期待を抱きながら迎えた新年。実家から自宅に帰った直後、リセットを迎えました。ポストに溢れた出産報告年賀状。人の妊娠を喜べない自分の醜さ。今年のお正月も義両親に嬉しい報告ができない惨めさ。自分で自分を期待させておいて、涙が止めど無く溢れました。子どものようにおいおい泣きました。

『きっと次は俺たちのところにも来てくれる』とかけてくれた旦那の言葉は、あまりにも軽く感じ、当時の私に届くことはありませんでした。

過酷な日々と夫婦のずれ

私は、0歳~学生までを担当する子ども英会話講師をしていました。それは、大の子ども好きだった私が、いつかやりたいと懇願していた仕事でした。

自分が不妊症であることを知らされた次の日の幼児クラス。そこには、いつもよりも眩しく幸せそうな親子の姿で溢れていました。全力の笑顔で行うレッスンの裏で、私は今にも溢れ出しそうな涙を必死に隠しました。

『先生、私2人目を妊娠中なんです』『先生はご結婚されてるんですよね。お子さんいいですよ』何気ない保護者からの言葉1つ1つが胸に刺さりました。保護者と生徒の背中を見送った後、1人教室で泣きました。そして、何もかも嫌になった私は、数ヵ月妊活をお休みすることを決めました。

そんな中、ある生徒からお手紙を受け取りました。丁寧に折られた小さな折り紙に書かれていたのは、たどたどしく書かれた『先生大好き』という文字でした。

どんなに辛くても、子どもに関われている時間が何よりものパワーの源で、やっぱり自分の子どもが欲しいと気付いた私は、不妊治療専門病院に転院することを決意しました。

そして転院後、すぐに私の様々な不妊原因とともに、旦那側にも問題があったことがわかりました。今でも悔やんでいることがあります。結果を聞いた帰りの車の中、私は落ち込む旦那に優しい言葉を何一つかけてあげることができませんでした。

タイミング法では結果が得られない事がすぐにわかり、早急に人工授精にステップアップしました。しかし、次に訪れた壁は2日前もしくは前日にしか分からない人工授精のスケジュール調整です。

診察後すぐに旦那に連絡し、半日有給の取得が可能かを判断してもらい、同時に私の上司にも相談するといった仕事の調整が必要でした。なんとかやりくりしていた私達の人工授精の日々は、決して楽ではありませんでした。

それだけでなく、同時にタイミングも取ることが必要でした。私は毎回、医師に言われた通りのタイミングを旦那に伝えました。急に休みをとることで帰りも遅くなり、忙しい毎日。正直2人とも疲れきっていました。

そんな日々の中、お互い帰りが遅くなってしまったある日、初めて旦那からタイミングを断られました。その瞬間、なんとか保っていた私の気持ちは大きく崩れ落ちました。私だって疲れているけれど、医師の通りにしなければあと1ヶ月また後悔することになるかもしれない、だから頑張っているのに。いつも私が『お願い』して『協力してもらっている』。こんなに必死なのは、自分だけなんだ…と。この時初めて、気付かないようにしていた夫婦の小さいようで大きな気持ちのズレを強く感じました。

足並みを揃えてきった夫婦の再スタート

私たちは、この日初めて、正面から向き合いました。今自分達が思っていることを正直に伝え合いました。2人は男と女で、妊娠できないことに対する思いや知識が異なっていたこと。お互い、妊活が義務のようになってしまっていたこと。お互いの大変さに目を向けていなかったこと。そして、やっぱり2人の子どもが欲しいという共通の思い。

この日から私たちは、お互いを思い合い、支え合う努力をしました。毎朝基礎体温を共有する。出来る限り一緒に病院や漢方堂に行き、知識を共有する。本当に疲れている時は、素直に伝える。次うまくいかなくても落ち込みすぎないように、2人が楽しみだと思えるご褒美や旅行プランを立てる。大好きな海外旅行も予約しました。

そして、最も私の背中を押してくれたこと。それは、旦那から義母に不妊治療を行っていることを伝えてもらったことでした。すると義母は、自分自身もできにくく過去に苦労していたことを話してくれたのです。そっと頂いた子宝のお守りを私は常に持ち歩きました。ダメな嫁だって思われたらどうしよう、という気持ちから開放されました。私は、1人じゃないんだ、そう強く思えた瞬間でした。

そして私はこの日から、自分が不妊治療をしていることを隠しながら、恥じながら生きることを辞めました。友達にも職場の人にも、自分が治療に懸命に取り組んでいることを全てオープンにしました。すると『私もそうだったよ』『私の兄弟や友達も治療しているよ』『実は私も今病院に通い始めたよ』という声がどんどん入ってきたのです。みんな見せていないだけで、同じ経験をしている人は実は沢山いるんだ。私が今これだけ辛い思いをしているのは、命の大切さを学ぶ為、そして、今後同じような経験をせざるを得なくなった人の支えになる為なのかもしれない…と思えるようになったのです。

支えあった不妊治療の終わり

妊活を初めて1年後、私たちに残された治療方法は顕微授精しかないと告げられたその日、再び私の心は折れました。泣いても泣いても涙は止まりませんでした。そんな私に旦那は夜中までずっと寄り添ってくれました。でも、この時は前とは違いました。

全てを共有し、一緒に泣き、一緒に励まし、一緒に理解を深める努力をしてきた旦那の言葉は、一番の支えとなりました。

そして、実母にも義母にも友達にも先輩にも相談し、沢山励ましてもらいました。

不妊治療は、誰のせいでもない。責める場所がないのは辛い。でも、私は1人じゃない。みんなに支えてもらってこんなに頑張っている。嫌になったら大好きな珈琲も我慢せず飲んで、お酒も飲んで、美味しいもの食べよう!と、とことん自分を甘やかしました。

そう心から思えたとき、私は初めてストレスから解き放たれました。そして顕微授精の準備期間中に、新たな命が私たちの元にやってきてくれました。

不妊治療は、長引けば長引くほど大きな大きな荷物を抱えさせられます。その大きな荷物は、1人で運び続けるには苦しすぎます。自分が壊れてしまいます。だから、私はまず旦那とその荷物を分けました。気持ちがズレたら話し合って修正して、2人で思いやりながら、協力して持ちました。それでも辛いときは、私は周りの人に素直に今の状況を話し、助けてもらいました。

1人で頑張らなきゃ、耐えなきゃ、という気持ちをなくし、みんなに支えてもらいました。

リセットして、辛くて悔しくて泣きたくなれば泣けばいい。何の苦労もしないで妊娠できた人を羨む気持ちも正直に吐き出せばいいと私は思います。

命の大切さを知った私たちは、来てくれた大切な命をこれからも色んな人に助けてもらいながら、夫婦一緒に一生懸命守っていきたいと思います。そしてこの経験が、今懸命に取り組んでいるどなたかの後押しとなることを祈っています。

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