結婚して3年、自然妊娠せず、妊活を決意
私が妊活を始めたのは、結婚してから3年たった31歳の時でした。
結婚してしばらくは、「いつか子どもは欲しいけど、二人の新婚生活も楽しみたい」と思い、子作りは積極的にしていませんでした。
休日は二人でバイクツーリングに出かけたり、コンサートに出かけたりして、伸び伸びと日々を過ごしていました。
そして気がつけば31歳、徐々に「妊活」を意識するようになりました。
周りの友人たちに次々と子どもが生まれ、焦りもありました。
夫のほうは、「子どもはいつか欲しいけど、自然にまかせれば」という感じで、あまり積極的ではありませんでした。
私は、とりあえず基礎体温を排卵日予測アプリに記録し始めました。案の定、グラフはガタガタで低温期と高温期の差があいまいでした。過去に卵巣の病気で治療歴もあったので「もしかして妊娠しにくい体質なのかも・・・」と不安になり、妊活ブログや情報サイトを頻繁に見るようになりました。
授精から着床までの流れなど妊娠の仕組みも詳しく調べるにつれ、「自分の体はどこかが機能していないのでは?」と不安が押し寄せてきました。
意を決して一般の婦人科で治療を開始
不安を抱えながら自己流のタイミング法を何度か試しましたが、結果は出ませんでした。体質に問題があるのかハッキリさせたかったので、病院で診てもらう決心をしました。
最初から不妊治療専門の病院に行くのは抵抗があったので、近所にある一般の産婦人科へ、相談をしに行きました。
最初の超音波検査や血液検査ではとくに問題はありませんでした。基礎体温と卵胞のチェックをしてタイミング指導を受けることになりました。以前、不妊治療をしていた会社の先輩から、この方法で妊娠したという話を聞いていたので、「半年くらいで成功するかな」とやや楽観的に考えていました。
会社は通院のため月に2、3度、遅れて出社するようになりました。女性の上司には婦人科に通院しているということを伝えていましたが、「不妊治療」とは言いづらく「持病の治療」とごまかしていました。薄々察してくれていたとは思います。
一般の産婦人科だったので、待合室にはお腹が大きい妊婦さんが居ました。出産のお見舞いに来ている人も居ました。「私だけが不妊治療に来ている…」モヤモヤした気持ちになり、居心地の悪さを感じました。
通院しながらタイミング法を試すも妊娠できない
排卵促進の注射も受けながら、タイミング法を3回ほど試しましたが、結果はでませんでした。夫の精液検査、卵管通水検査なども行いましたが、とくに大きな問題はありませんでした。
一般の産婦人科だったので、タイミング法以上の治療はできませんでした。医師は生活改善のアドバイスや転院の提案などをしてくれることもなく、淡々とタイミング指導を続けました。
夫のほうは仕事が忙しくなりはじめ、妊活に関しては完全に受け身の状態でした。私は妊活を始めて半年以上たち、うまくいかない状況が長くなってきて、焦りや不安に囚われるようになっていきました。
タイミング法が夫にプレッシャーを与えセックスレスに
もともと私たちは、「友達」のような夫婦関係でした。結婚前に付き合っている期間が長かったせいかもしれません。夫婦仲は良いのですが、仲良しの回数は少なく、月に2度あればいいほうでした。
そんな夫婦関係なのに、夫は排卵日に合わせて仲良しを要求されることがプレッシャーになっていったのだと思います。タイミングに合わせた仲良しがうまくできなくなっていきました。
夫は私に対して「身内のような感じがして子作りに抵抗がある」と言いました。私はショックでしたが、その時、私自身も同じように感じている部分がありました。
ハグなど軽いスキンシップまではできるのですが、それ以上の行為は体が反応しないのです。
「セックスレス」…精神的な大きな壁にぶつかりました。夫は妊活に疲れたのか「無理してまで子どもは欲しくない、いなくても構わない」とまで言うようになりました。
「結婚すればいつか子どもを授かる」と思い込んでいた世界が崩れていきました。子どもがいない選択も考えるようになりました。ただ「子どもを産んで家族を持ちたい!夫との子どもに会いたい」という気持ちは諦められなかったので、正直に自分の気持ちを夫に伝え話し合いました。そして夫も徐々に、前向きに考えてくれるようになりました。
夫と話し合い転院!顕微受精で無事妊娠に成功!
そんなある日、夫から「Sさんは顕微授精で子どもができたんだって。男は精液を採って凍結するだけらしい」という話をしてきました。同僚Sさん(男性)と飲みに行ったとき、顕微授精の体験談を教えてもらったようでした。
私は、事前に体外受精や顕微授精の知識はありましたが、実際にトライした人が身近にいることを知って驚きました。また、夫から妊活に関する話題をしてくれたことを嬉しく感じました。
そんな折、私たちに唐突に転機が訪れました。夫の遠方への単身赴任が決まったのです。一年間は離ればなれの暮らしを余儀なくされました。「妊活中に夫と離れるなんて・・・もうどうしようもない・・」と途方に暮れました。
しかし、このどうしようもない状況に陥ったからこそ、顕微授精へステップアップするしかないと決意することができました。凍結精子を使う方法なら夫と離れていても不妊治療を進めることができるからです。私たちは、Sさんから教えてもらった高度な不妊治療が行える病院へ転院することを決めました。
まず二人で病院の説明会へ参加しました。説明会には30代40代のご夫婦が多く参加されていました。「皆、おなじ悩みを持つ人たちなんだ…」と少しほっとしたのを覚えています。
初診では私と夫の基本的な検査を行いました。私のほうは、昔卵巣の病気をしていたこともあり、卵巣年齢が実年齢よりも高く、夫のほうはやや精子の奇形率が高いという結果がでました。また夫が遠方にいるということを考慮してもらい、精子凍結をして顕微授精を行うことになりました。「やっと前に進むことができる」と希望がわいてきました。
院長先生が「あなたの年齢なら顕微授精で約7割成功するでしょう」と自信を持って言ってくださったことも、励みになりました。しかしこの頃、私は部署異動などで仕事内容がハードになっていき、治療と仕事の両立が大変になっていきました。また夫と離れて暮らしていることもあり精神的にも疲弊していきました。
そして夫の勧めもあり、仕事を休職することにしました。これまでずっと働き詰めだったので、体質改善に目を向けたのはこのときが初めてでした。
もともと冷え性だったので、温かい飲み物を飲むようにしたり、入浴後にストレッチをしたりするようになりました。アルコールも極力やめました。
そして、顕微授精の治療を始めて半年ほどたった頃、胚盤胞移植の2回目で妊娠が発覚しました。妊娠の兆候はとくになかったので、初めて妊娠検査薬に反応が出たときは、驚きました。嬉しさのあまり、夫に急いでメールをしました。
夫との信頼関係が、妊活を成功へ導いた
妊娠中も様々なトラブルに苦しみましたが、33歳の時に無事元気な男の子を出産することができました。振り返ってみると、セックスレスからタイミング法が進まなくなったときが一番苦しい状況でした。転院し顕微授精の治療を始めてからは、妊娠への希望を持つことができ、心の負担は軽くなりました。
夫は単身赴任中、私の病院通いを気にかけてくれるようになりました。私が赴任先に行ったときには一緒に旅行に出かけたり、美味しいものを食べに行ったり、今まで以上に一緒にいる時間を楽しみました。そうやって夫婦の信頼関係が戻り、妊活ストレスが軽くなったことも成功の要因だったのかもしれない…と今では思っています。