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2018/08/31 40代体外受精

最初で最後のIVFの為にやったこと

最初で最後のIVFの為にやったこと

永い歳月を経て、やっと体外受精をすることになったのですが、もちろん妊娠したいという気持ちがゼロではありませんが、何年も不妊治療を続けてきたので「妊娠は夢のこと」と思っていたので、将来後悔しない自分の為にする「不妊治療記念IVF」なんですから、良いと噂されることは全部やろう!という思いで挑みました。

まず、職場で飲むドリンクをコーヒーは血管を収縮さすので細胞分裂によくないのはと考え、ビタミンCと高麗ニンジンの粉末をお湯で溶かしたものに変えました。かなりの異臭ですが仕方ありません。後悔したくないですから。

子宝神社へもお参りしました。

具体的には、奈良県・吉野の山奥にある「水分神社(みくまりじんじゃ)」と、兵庫県・有馬にある「湯泉神社」です。

「水分神社」は友人の紹介で行ったのですが、かなり山奥のうえ、唯一の車道がその日に限って工事のため通行止めだったんです。迂回も出来ず、途方にくれていた時、近所に住む住民の方の御好意で、その御宅に駐車させてもらえたことがとても印象に残っています。その後神社までは、参拝というよりも登山のような難所の連続で「これは神様に試されてるんじゃないか?」と二人でめげずに登りきって参拝したことを覚えています。

もちろん、子授温泉にも数か所行き、神社+温泉+グルメのトリプルイベントとして、二人で楽しむ気持ちを忘れず周りました。

私は多のう胞で、インスリンが多く分泌されているため、クリニックで栄養士さんから食事指導もしてもらいました。その当時、朝はフルーツとヨーグルトだけだったので、3食バランスよくを心掛け、玄米食をはじめとしたマクロビにも挑戦しました。マクロビは挑戦はしましたが続けることが出来ませんでした。というのも、美味しい物と甘い物には目が無いので、これを我慢し続けるのはストレスになると思ったからです。

ストレスも不妊の原因の1つと言われているので、食事は出来る時だけにして、その変わり代謝をあげるために、電車を使わず、毎日往復10キロを自転車通勤することにしました。このおかげで、不妊治療はホルモンバランスを崩して太るって言われていますが、私は5キロ痩せることに繋がりました。

極めつけに、採卵前日と、当日に、東洋医学も取り入れて、鍼灸を受けました。あ、腹部以外のアロママッサージもしてもらいました。

鍼灸師の方が、偶然、私の大好きなスポーツ選手のマッサージ師と繋がりの深い方で、施術中は本当に楽しくて、「針痛いかなぁ・・・」という不安もぶっ飛ぶぐらい楽しい時間を過ごした記憶が残っています。

IVFの実効日が決まると、それに向けてクリニックに通う回数も増えました。私は職場に「不妊治療をしていて、体外受精に挑む」と宣言しました。結婚して13年、まもなく35歳にもなろうとしている私からのカミングアウトは、皆さん重く受け取って下さり「うんうん。がんばり!シフト調整は任せて!」と励ましてもらいました。

その頃の私は、ある職場で、非常勤職員という立場で5年目という最後の任期中だったので、IVFがどんな結果になってしまっても、間もなくこの職場ともお別れなので「不妊治療宣言」が出来たのかも知れません。

自宅での自己注射は、怖くてなかなか刺せずに心が折れそうにもなりましたが、「糖尿病の子どもが自宅でインスリンを打つ時に使う注射針にしてるんだから、大人のあなたが出来なくてどうするの!簡単よ!」と30分間も励ましてもらい、なんとか自宅でも打つことに成功したので、通院回数を減らすことが出来ました。採卵決行日の数日前からは、チャイムと同時にダッシュして電車に飛び乗り、病院で筋肉注射も打ってもらいました。

一生分の注射を打ったのではないかと思う期間でしたが、私の中で「処置室で看護師さんを大爆笑させて帰る」というプチ目標に毎日励んでいたおかげで、痛い注射も何とか楽しくやり遂げれました。

採卵前日の朝、旦那がいきなり「やっぱ辞めない?」と弱気発言。きっといよいよ明日、結果を出すのが、怖かったんだと思います。男子の弱さ垣間見た!です。でも、ここまで来る為に、どんな努力も惜しまず前向きに行動してきたつもりだったので、ここで辞めるとそんな自分達を否定するようなものだと感じました。その時、旦那には、「私の気持ちに任せて欲しい」とお願いしましたが、正直私には迷いがありませんでした。

採卵日

旦那にも頼らず、母にも付き添ってもらうことなく、採卵は、私1人で挑みました。

それまでの、永きにわたる通院で、スタッフの方々と信頼関係は築けていたので、何も怖くなかったからです。むしろ、旦那や母という第三者がいるほうが気を使うのでしんどいなぁ・・・というが正直なところ。

病院に到着し、預ける物を看護師さんに預け「痛いの嫌だから、ちゃんと麻酔が効くまで実行しないでくださいよ!」とお願いし、点滴されながら「まだ意識あります。まだ意識あります・・・・」と、つぶやいてました。

「まだ意識あります!」と叫んだら、「もう終わりましたよ~」でした。

卵管造影検査や、タイミング療法・人工授精や触診と、長年に渡り色々とこなしてきたんですが、一番恐怖だった採卵が一番無痛でした。医学の進歩のおかげです。

その後は、少しベッドで休んでから電車で帰宅しました。あまりにもあっけなかった(意識がないから)ので、その夜、逃げ腰だった旦那に事細かく自慢しながら話しました。

それから数日後、培養士さんが受精卵として育ててくれた卵チャンは最終的に残ったのが4つになったと知りました(採卵は10個でした。)そして、その後の細胞分裂の結果で、受精卵としては2個が可能性ある卵ということでした。

その1つを子宮にもどし、もう1つは長期冷凍保存にしました。

受精卵を子宮に戻した瞬間のことは今でも忘れられません。ライブ映像の中、行ってくれました。先生がそっと子宮の上に手を乗せて祈ってくれました。その後、看護師さんからも、「コウノトリが運んできてくれますように」とお腹の上に折り紙でおった鶴を置いて下さいました。

卒業

普通に生活してもいいよ~と言われていたんですが、昔「タップダンスの振動が着床によくないのでは」と言われたこともあったので、5日間、寝たきり生活を実施しました。そこ頃、韓流ドラマが流行っていたので友人からDVDを借りてきて、5日間テレビの前で暇することもなく「ゲラゲラ」笑ってすごしていたように思います。

いよいよ結果を聞きに行く日。旦那は緊張しすぎてお腹を壊し、診察室に呼ばれた後もたまらずトイレに駆け込み、結果は私1人で聞くことに。本当にこういう時って男子は弱いです。

遅れて部屋に入ってきた旦那に「無事に!」と告げると、「すいません。もう1度説明してもらえませんか?」とずぅずぅしくも、忙しい先生の手間を取るような発言をしていました。

その後順調に出産までたどり着くことが出来、1つ目の受精卵がいま、元気な女の子として育っています。

IVFは自然の摂理に反抗するようで、とても抵抗があったのも事実です。なんとなく神の領域を乱す行為のようにも感じたのも事実です。

ですが、最初で最後のIVF。私たちは体外受精で、かつ顕微授精で、さらに妊娠の確立を上げるために、卵子に切れ目を入れてもらいました。出来ることは全てやる!と決めたのと同時に、妊娠する前から、どんな子が産まれてきても受け入れる覚悟をしていたのも、不妊治療というプロセスを経たからなのかも知れません。

現在の子育てにおいて、たまに「ムカッ」とするような行動に腹を立ててしまうのですが、旦那は1度も私のように感情的になって怒ったことがありません。旦那に言わせると「あの卵が、頑張ってポコポコと細胞分裂頑張ってくれたおかげなんだよ。この子がいるのは。」だそうです。そう、娘のアルバムの1ページ目は、細胞分裂する卵子の写真なんですよ。

その後、娘が1歳2ケ月の時に、冷凍保存していた受精卵をもどす治療をスタートしました。結果は、残念ながら授かることは出来ませんでしたが、「1人でも授かれた」という奇跡に満足しているので、後悔はありません。

周りの反響と現在の夫婦関係

結婚13年目にして妊娠し出産したことが、一時期、周りにちょっとしたセンセーショナルを巻き起こしました。

仲の良かった不妊の友人達には「だらしないあんたにも出来たから、私にも出来る気がするわ」と、全ての検査をスッ飛ばしていきなり体外受精してくれる病院に駆け込み、授かった友人もいます。

もちろん、スムーズに授かった人だけでなく、5年の歳月をかけてやっと授かった人、もちろん頑張ったけど結果がダメだった人もいて、本当に色々です。

また、「実は私も不妊に悩んでいて・・・」とか、「子どもの出来ない友人に不妊治療を促したいけどどうやって伝えたらいいのか・・・」とか色んな相談も受けました。

不妊治療には答えがないように思っているので、そんな時は、うだつの上がらない私が不妊治療する決意に至るきっかけになった2つの出来事を話すようにしています。

将来的に、ほとんどの子どもは親元を巣立っていく訳ですから、今も、そしてこれからも、結局は夫婦二人がどういった関係を築いて一緒に歩んでこれているのかが大切だと思います。この永きに渡った不妊治療を乗り越えたことで、もちろん私たち夫婦は絆が深まりました。

自分本位ではなく相手を思いやる気持ちや、また相手のその気持ちに気付くことが出来ました。

子どもが居るのか?

そんなことより、どういった夫婦であり続けたいのか?がとても大切だと思います。私たちは高校から付き合いなんで、人生の半分以上を一緒に過ごしてきています。もう親以上の存在です。そんな私たちの今の楽しみは、娘の成長はもちろんですが「老後に一緒に起業しよう!」です。そんなバカみたいな発想も、私たち二人の夫婦の形なんです。

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