妊活をはじめたきっかけ
私たちが妊活を始めたのは、私32歳夫35歳の時でした。一緒に住んでいた期間が長く、子どもができたら結婚かなぁなんて呑気に構えていた私たちは特に妊活に焦るつもりもありませんでした。
お互いに仕事が忙しく、休日もめったに合わない生活をしていたのでいつか子どももできるだろうという安易な気持ちでいました。また、諸事情から入籍だけ済ませることにし新居を購入する際も、まだ子どもはいないのに夫と子どもができたら実家に近いほうがいいねと話合って、私の実家近くのマンションを購入しました。
長い間子どもが出来ずにいた私たちですが、私は子どもが出来ないなんて考えは全くありませんでした。それどころか、新居購入の際の場所や間取りは全て子どもがいることが大前提で決めていました。
今考えると、私がとても前向きに妊活に取り組めたのは、子どもがいない将来を想像することが出来なかったからだと思います。
そんな私たちが妊活を始めたきっかけは、私の職場の先輩からのアドバイスでした。私の職場は比較的忙しく、昼食をとる時間がなかったり帰宅が午前様になることもありました。そのため、結婚したばかりの先輩はすぐに不妊治療を専門としている大きな病院で検査してもらうとのことでした。
当時の私は不妊治療という言葉にも、ピンとこないくらい全く知識がありませんでした。先輩がご自身のホルモン異常、ご主人の精子の数が少ないという理由から不妊治療を始めると聞いた時も、大変だなーとどこか他人事でした。
しかし、その先輩から子どもが欲しいなら絶対に早く病院へ行った方がいいと何度も説得され、また私自身もなんとなく頭の片隅にこれだけ一緒にいるのに子どもが出来ないのって何かあるのかなーと思っていたので、仕事が落ち着いたら病院へ行ってみようかなーと軽い気持ちでいました。
そんな矢先、弟夫婦が子どもを授かりました。二人は出会ってすぐに結婚、そしてすぐに子どもをさずかったこともあり、私自身もここで初めて少し焦る気持ちがでてきました。
初めての産婦人科
職場の先輩のアドバイス、弟夫婦の妊娠をきっかけに初めて産婦人科へ行くことにしました。
その病院選びの際も簡単に妊娠するだろうという変な自信があった私は、不妊治療で有名な病院や専門病院ではなく、自宅から通いやすい個人の産婦人科を選びました。
そこはホームページに小さく不妊で悩んでいる方も受診して下さいと書いてあるような病院でした。この後、この病院で私たちが子どもを授からなかった様々な原因がわかることとなります。しかし、結果を聞くまではどこかポジティブに子どもができると信じていた私は、たいして不妊について調べることも無く、知識もあまり無いまま病院に通う事になりました。
電話で予約し、初めて行った産婦人科では先輩からのアドバイスで付けていた基礎体温表を見せ、私の職業や夫の年齢・職業など現在の夫婦の状況を聞かれました。
先生は基礎体温を見ただけで、「排卵してない月あるねー、これ」と言っていましたが、その時妊娠についてもちゃんとした知識の無かった私は「へーそーなんですかー」と軽く返事をしていました。
そして、先生から今後の方針を説明して頂きました。最初は検査をたくさんすること、生理が始まったら何日目にこの検査、何日目にこの検査、と色々書いてある紙を見せて説明してくれました。
その時、私はこんなに検査するの?仕事あるけど、生理3日目にって言われても休みかどうかわからないけど、どうしたらいいのと考えていました。
一通り説明が終わり、仕事があるので予定通りに通院できるかわからない旨先生に質問しました。答えはできるだけ日程通りに来て下さい、1日くらい前後しても構いません、病院は朝8時からやってるので、仕事前に来れそうだったら来て下さいとのことでした。
幸い私の仕事はシフト制の休みで早番や遅番があったので、なんとか通院できそうかもと思っていました。
実際、この病院で最初の1カ月でわかったことは私の排卵障害、多嚢胞性卵巣症候群、子宮筋腫でした。後に子宮筋腫は不妊には直接影響の無い場所にあるという事がわかりますが、これだけたくさんの原因があると言われ、正直少し驚きました。
だから妊娠しなかったのかーと、どこか納得した覚えがあります。そして、先生から「ご主人の検査を一度してみましょう」と提案がありました。
夫の検査は精子の検査になります。ここで初めて夫にも協力をお願いしました。とはいっても、夫の検査の場合は自宅で採取した精子を私が病院へ持っていくというものでした。
夫は協力的なほうで、妊活にも賛成してくれていたので快く受け入れてくれました。これも私が前向きに妊活ができた要因だと思います。
夫の検査結果は、非常に悪かったです。体調に左右されるとのことで何度か同じ検査をしましたが、あまり変わらず夫にも不妊の原因があるということがわかりました。
検査と並行して、病院で排卵日を特定しておこなうタイミング法をしていましたが、夫婦2人の検査結果を踏まえて先生から、人工授精へステップアップしましょうというお話がありました。
この時初めて私はいろんなことをインターネットで検索しました。というのも、妊活にはお金がかかるというイメージがあったので、まずは金銭的なことがとても不安になりました。
次にこの後にはどんな治療が待っているのか、私たちは子どもを授かることができるのかという不安が出てきました。
病院の先生からは人工授精を何度かやってみましょうという事でしたが、私がインターネットで調べた知識によると夫の精子の状態では、人工授精では妊娠は難しいだろうと思っていました。何度かこの病院で人工授精をしましたが、結果はでず私は転院することを決めました。
ただ、転院すると決めた時も気持ちはとても前向きで、自分が納得いくまでお金の事、不妊治療のことを調べていたので先をイメージすることができました。転院するタイミングで夫とも話し合いをし、お金のことを踏まえてどこまで妊活をするのかということも二人で決めました。といっても、夫は私のやりたいようにという方針だったので、私が今考えていることを夫に話し、了解を得るというような形でした。
この時点で決めたのは、自分たちは今まで通り生活し貯金していたお金を不妊治療に充てるということ、不妊治療は納得のいくまで手段は選ばずに行うということでした。
体外受精に抵抗のある男性も多いようですが、夫と私はどうしても子どもが欲しいという意見が一致していたので、手段は選ばないという話し合いになりました。ここでしっかりと夫婦で話し合いをしていた事が後々とてもよかった思うことになります。
転院後の治療から妊娠するまで
私が転院先に選んだ病院は、地域でも不妊治療の実績が高くとても有名な病院でした。
どうせやるなら、とことん納得のいくまで治療しようと思っていたため、この病院を選びました。
不妊治療を専門にしている病院だけあって、待ち時間も常に2時間以上、いつもたくさんの患者さんが待合室で待っている状況でした。その待合室にはこの病院の月間の治療実績が貼られていて、私はそれを見ながらいつか私の治療実績もここに載るんだろうなととてもポジティブに考えていました。
この病院では前の病院で一通り検査をしていたこともあり、先生からはさっそく体外受精へのステップアップを勧められました。私自身、夫の状況や一刻も早く妊娠したいということを考えると早くステップアップしたかったので、先生の治療方針に同意しました。そこからはとても早く色々な準備がすすめられ、急に病院への通院回数も増えました。
一番大変だったのは、朝早くの通院や夜9時までに注射を打たないといけないなど、時間の決まっている治療に仕事をしながら通院することでした。それでも治療をがんばれたのは、どうしても子どもが欲しいという強い思いがあったからだと思います。
また、金銭面での負担も一気に増えました。体外受精の治療は保険が効かないので、一度のお会計は万単位になりましたが、私の場合は前もってどれくらいかかるのかを調べておいたので驚くようなことはありませんでした。
どうしても不妊治療をしている間は体力的にも大変で余裕がなくなってくるので、少しでも気持ちに余裕を持つためにも私は自分自身で色々調べておいてよかったと思っています。
そして、高い技術を持っている先生方のもとで、私は無事妊娠しました。夫の精子の状況が著しく悪かったため顕微授精をしアシストハッチングをし、出来うる全ての事をして頂きました。
治療自体は痛みを伴う事ももちろん多々ありましたし、タイミング法や人工授精に失敗した時は少し落ち込むこともありました。しかし、私自身の性格がとてもポジティブなことは不妊治療をするにあたってはとても良かったと思っています。
うまくいかなかった時や検査結果が悪かった時、その度に落ち込んできたら不妊治療を最後まで続けられなかったかもしれません。
また、夫に相談する時も前向きに相談したからこそ、夫もとても協力してくれたのだと思います。不妊治療は一人でするものではありません。夫婦がお互いに前向きに子どもが欲しいという気持ちを持って取り組む事が重要だと、私は自身の不妊治療の経験から学びました。