妊活開始わずか2ヶ月で
2008年5月に入籍し、11月に結婚式を挙げた私は、当時30歳。まだ仕事をしていたので結婚後すぐに妊活を始めたわけではありませんでした。
2008年度いっぱいで退職する予定でしたので、春には妊娠できるように12月頃から妊活を始めました。
子どもは3人いたらいいなぁ、と漠然と考えていました。当時の私のイメージでは、結婚すれば当然妊娠できると信じており、「不妊治療」などという言葉は一切頭に無く、それに関しては全く未知の領域でした。
1月の半ば、生理が少し遅れたのでまさかと思いながら判定すると、いきなりの妊娠反応でした。こんなに計画通りに妊娠できるとは、私って運がいいなぁ、と呑気に考えていましたが、それが悪夢の始まりでした。
数日後、近所にある産婦人科で受診すると、まだエコーでは赤ちゃんの袋が見えませんと言われ、また1週間後に受診。するとまた子宮には何もないという診断。
これはいわゆる化学流産ですね、と言われ、そういうこともあるのか、と残念な気持ちでしたが、その時はまたすぐ妊娠できるだろうと気楽に考えていました。
そしてその数日後、夜中に急に下腹部に激痛が走り目が覚めました。尋常ではない痛みだったので、旦那を叩き起こして夜間の救急病院に連れて行ってもらいました。夜間の病院には学生のような新人先生しかおらず、診てもらっても何も原因はわかりませんでした。ロキソニンを処方されて、とにかく痛みを鎮めました。
出血多量
下腹部の痛みは、ロキソニンを飲むと我慢できるくらいに治ったので、次の日から仕事に行きました。流産直後のことだったので、恐らくそれがこの腹痛の原因になっているのだろうと思い、ロキソニンでどうにか痛みを我慢して自然と治るのを待つしかないと考えていました。
しかし、事態は急変しました。仕事中にまた下腹部に異常事態。なんとか休憩室までたどり着いたものの、猛烈な激痛で、動けなくなってしまいました。意識が朦朧とする中、力を振り絞って自分の携帯から119番に電話しました。
救急車で総合病院に運ばれ、すぐにCTとMRIを撮り、血液検査をした結果、下腹部内部で出血多量、そして明らかな妊娠反応がある、という診断でした。それは、恐らく子宮外妊娠による、卵管破裂が起こっていると考えられるという事でした。その時はもう出血多量で鉄分が半分以下になっていました。私は貧血で意識が落ちる寸前でした。このまま死ぬんじゃないか、と本当に命の危機を感じました。
緊急で腹腔鏡手術が行われ、術後に輸血、なんとか意識が戻り私は無事に命が救われました。実際に、子宮外妊娠で出血多量になり、亡くなった人もいます。産婦人科でも、すぐには子宮外妊娠と診断するのは難しいので、注意が必要なのです。
先生の冷たい一言が後押しに
手術後、担当医から衝撃の一言が。「今後の妊娠は難しいですね。」
それを聞いた瞬間、私は頭が真っ白になりました。そんなバカな!なぜ私がそんなことになるんだ。信じられない。頭の中で未来の家族像がガラガラと崩れ落ちました。先生は、妊娠したいなら体外受精以外に道は無い、とはっきり言いました。私は涙が止まりませんでした。
今思えば、先生が冷たくそう言い切ってくれたことが、体外受精を決意する後押しとなったのだと思います。もし、まだ片方の卵管が残っているから可能性は無くは無い、などと言われていたら、何年も自然妊娠を待って結局年齢的に手遅れとなっていたかもしれません。
運命的なご縁
退院後すぐに、私は体外受精について懸命に調べました。費用はどれくらいかかるのか。家から通える範囲で評判の良い不妊治療専門病院はあるのかどうか。友達にも相談しました。
自分なりに調べた病院をリストアップしました。その頃、ちょうどフジテレビ系の「エチカの鏡」という番組で、体外受精が取り上げられていて、その日本屈指の体外受精の権威である先生の病院が通える範囲にあるということを、相談していた友達が教えてくれました。
さらに、旦那の仕事関係で、その先生の奥様と旦那が知り合いである事が判明し、話はトントン拍子に進みました。
失意のどん底、そして暗中模索だった私の頭の中に、希望の光の道が見え始めました。本来なら初診の予約すら何ヶ月も待たないとできないという中、奥様の紹介で予約を入れてもらう事ができ、生死をさまよったあの日からわずか5ヶ月後に、体外受精をする事ができたのです。
体外受精、そして妊娠への道のり
先生によると、卵子は生まれてから日々刻々と減少し、年を取っていくそうです。そして年をとればとるほど染色体異常のある卵子が増えていき、着床しづらく流産も多くなる、という話を聞いて、妊娠出産は一刻を争う事だ、と私は焦りを感じました。
「子どもは3人欲しい」という私の願いは、「一人でもいいから無事に妊娠し、出産したい」という願望に変わり、その事でもう頭がいっぱいでした。
体外受精をするには、もちろん多くの時間と労力、費用がかかります。しかし、それ以外に道は無いと医者に断言されてしまった以上、悲しんでいる時間は無い、やるしかない、という気持ちでいっぱいでした。
まずいくつもの検査(性病、子宮頸がん、ホルモン検査、など)を受け、その後、生理周期を見て排卵日から逆算して卵巣刺激注射を打つスケジュールを決めます。そして採卵の手術をし、そして体外受精(顕微授精)を行い、採卵の5日後に受精卵(胚)を移植するという流れです。
具体的な日程で言うと、私の場合、7月2日から10日間毎日注射、7月13日に採卵、18日に胚移植、そして妊娠判定は7月28日でした。
卵巣刺激は6パターンほどあり、最も高いのは11回(平均の回数)で約14万円、1番安いのは約1万5千円と、かなり幅があります。何が違うかというと、やはりそれによる妊娠率が左右されるらしいのです。私は上から2番目のパターンを選びました。
採卵は全身麻酔で行いました。個人差はあると思いますが、私は卵を10個取ることができ、そのうち9個を受精操作、その中の4個を凍結、その他5個の中から状態の良い胚を一つ選び、移植することになりました。つまり、今回を含め5回のチャンスがあるということです。
胚移植から判定日までの10日間、着床を助けるための薬を服用します。ホルモンを補充するための貼り薬は、注射の日から判定日まで毎日貼ります。その他にも、流産防止の薬もあります。体外受精を成功させるためには、多くの薬が必要なのです。そんなに薬を使って赤ちゃんは大丈夫なのだろうか、という疑問は誰でもあると思います。
私がお世話になった病院では、薬の説明は一つ一つ細かく説明があり、様々な資料も配られたので、納得して服用する事ができました。
そして、妊娠判定の日。奇跡が起こりました。陽性だったのです。最初の1回で、見事着床しました。この感動は忘れられません。先生、病院、コーディネーター、すべての関わった方々に、感謝の思いと、この芽生えた命を何としてでも無事に産んで育てたい、という熱い思いで胸がいっぱいでした。
切迫早産で入院
ところが、妊娠中にも思わぬハプニングがありました。妊娠7ヶ月の検診で、急に子宮頚管が短くなっていると言われ、緊急入院。その時は頚管が14mmでした。通常は、40mmはなくてはならないのですが、なんらかの理由で赤ちゃんが下がってきてしまい、切迫早産の危険があるというのです。それから2ヶ月の間、24時間点滴しながらの入院生活でした。まさか2ヶ月も入院するなんて、私には思いもよらない事態でした。
そんな中、長い入院生活で良かったこともありました。それは同じ病室で同じ境遇である友達ができたことです。トイレと検査以外はベッドで寝てる毎日なので、退屈極まりない生活です。私は3人部屋で、他の2人が幸運にもとても気の合う人柄だったので、他愛もないおしゃべりや、任天堂DSでマリオカートを一緒にやったり、ドラクエをやったりして、暇な入院生活を意外と楽しく過ごすことができました。
もちろん、辛いこともありました。24時間点滴なので、針がずっと刺さったまま生活しなければなりません。私の血管はあまり点滴に向かないらしく、すぐに腫れたり漏れたりして、右と左を何度も差し替えなければなりませんでした。薬の副作用で手は震え、字を書こうと思ってもうまく書けませんでした。
しかし、同じ病室の仲間がいたので、そんな辛いことも笑って過ごすことができ、そして今となっては良い思い出となっています。その仲間たちとは未だに交友があり、毎年年賀状もやりとりしています。
二人目、そして三人目
1人目は逆子で帝王切開での出産となりました。その執刀してくれた先生が、片方の卵管が残ってるから自然妊娠もできるかもしれないよ、と信じられないことを言ってきたので、長男が1歳半頃から1年間、排卵日を測定して自然妊娠を試みましたが、全くできませんでした。
これ以上はもう自然妊娠は諦め、2回目の胚移植を実行しました。前回凍結した受精卵を解凍し、培養したものを移植する融解胚移植です。またもや奇跡的にも、1回目で着床。これは本当に先生もびっくりするほどの成功率でした。
2人目も既往帝王切開で出産。一度帝王切開をすると、出産時に傷が裂ける恐れがあるため、その後の出産も早めに帝王切開で出すことがほとんどだそうです。
長男が4歳、長女が1歳半の時に3回目の胚移植をしました。この時は、残念ながら流産してしまいました。
まだチャンスは残っていたので、もう一度挑戦しました。すると2回目で成功。3人目も既往帝王切開による出産。3回もお腹を切ると、子宮の皮が薄くなってしまっているので、これ以上の妊娠は危険が伴います、と先生に言われました。元々3人が希望だったので、それはすんなり受け入れました。
そして現在子育て奮闘中
現在、長男は3年生、長女は年中、次男は2歳になりました。3人とも、元気に健やかに育っています。
私のようなケースは稀かもしれません。しかし、私が言えることは、もし体外受精に大きな壁を感じている人、もしくは、普通じゃない怖さ、精神的な負担、経済的な負担、後ろめたさ、そういったことで一歩が踏み出せない人がいたら、全く恐れることはない、と言いたいのです。
例えば、タイミングで自然妊娠が2年以上できずに、年齢が30代半ばだとしたら、すぐにでも体外受精に踏み切った方がいいと思います。
不妊治療中はどうしてもネガティブな気分に陥ってしまうことが多いと思いますが、絶対に道は開けると信じ、先生を信じ、旦那さんと協力し、前向きに気分を保つことが大切です。
ストレスは万病の元であり、ネガティブはネガティブを呼びます。変な話ですが、神社にお参りに行ったり、ご先祖の墓参りをしたり、家に神棚を作ってみたり、風水を取り入れてみるのも、気分転換になるかもしれません。
人生の中で、妊娠・出産は、大きな節目であり、一番の大仕事でもあります。またそれが母親としての仕事の始まりであり、子どもが手を離れるまでの数年間は、自分を捨てて子育てに邁進する貴重な時間でもあります。
私はこの時間を大切に、今日この瞬間は今しかないと思い、子ども達の成長を噛み締めながら、毎日を過ごしています。