妊活?私が?
「排卵が弱いね。この数値ではとても妊娠は望めない」
私の基礎体温表を見た時の産婦人科のドクターの言葉です。
15年ほど前の話。結婚して2年以上経っても妊娠しないので、産婦人科を訪れました。当時、周りの友人は独身も多く、既婚であっても子供がいる人は少なかったので、”焦る”というよりも「ただなんとなく」受診したのを覚えています。産婦人科に行くのなら、あらかじめ基礎体温をつけていった方が良いというのも、女性ファッション誌ですすめられていたからそうしたに過ぎませんでした。
子供が欲しいと強く願ってもいませんでした。結婚をして、自然に授かるのが当たり前だと信じ切っていたからです。私の辞書に”妊活”という文字はありませんでした。
そんな状態でしたから「このままでは妊娠が望めない」ということを専門家であるドクターから言われてしまい、愕然としました。自分のことを、女性だけど女性じゃないように思えて、表現しきれないショックを抱えたことを覚えています。予期せずに突然、頭をガーンと殴られたような、という表現がちょうど当てはまるような状況でしょうか。
その頃は、”妊活”という言葉はありませんでしたが、私にとっての”妊活”をスタートせざるを得ませんでした。それでも、まだ大きな危機感は持っていなかったように思います。
カラダとココロが壊れる
半年くらいでしょうか。基礎体温をつけながら、定期的に産婦人科に通いました。私が経験した妊活の為の治療は、本当に「初期の段階」だったと思います。
排卵誘発剤を処方されていたので、ドクターの指示通りに飲んでいました。少しですが、排卵の兆候が見受けられるようになっていき、いざ「排卵期突入」という日に限って薬の影響から立っていられなくなるほど下腹部がキリキリと痛み、吐き気を起こしました。その状態に主人も引いてしまい、妊活どころではない状態が数ヶ月続きました。
「子供を作る行為がないまま”治療だけを続ける”」という自分でも何をやっているのかわからない毎日を繰り返し、妊活を義務のように行っていました。
ドクターに痛みを訴えると、「卵管通し(卵管造影)をしてみようか?」とすすめられました。痛みの度合いを聞くと「”痛くない”とは言わない。僕は男だけど、もし自分が女性だったら受けたくないな!と思うくらい患者さんは痛がる。」とのこと。排卵誘発剤だけでもここまで苦しいのだから無理だと思い、ドクターと相談の上、一旦、保留にすることに。
その後、ドクターの提案で、主人の精子の状態を検査することになりました。結果は「異常なし」。ドクターから「早く伝えてあげるといいよ。男は、小さなことを気にするから」とアドバイスを受けたので、このことを夜勤をしている主人に電話で報告しました。たったひと言でした。そこから、私の一部が静かに少しずつ壊れていったことを覚えています。
「やったー!俺じゃない!」
周りの同僚たちに大きな声で嬉しそうに報告している声が聞こえてきました。あまり覚えていませんが、私は言葉を何も返せず、そのまま静かに受話器を置いたような気がしています。コドモガデキナイゲンインハワタシ・・・
その後、私たちは離婚しました。振り返ってみると、当時はお互いに自分たちが”まだ子供だった”ように思っています。
もちろん、排卵誘発剤の服用も終了。私にとっての妊活は、この時点で終了したと感じていました。
定期的にお世話になっていた産婦人科のドクターに事情を伝えると、こう話してくれたことを今でもはっきり覚えています。
「時として、女性の体は数値では計れない。僕たち(医者)が想像できないほどの”奇跡”を起こすことがある。これまでも、とてつもないことをやってのける女性を見てきた。」
私にとっては、気休めのようにも感じましたが、心にずっしり残る言葉でした。
また辛い治療が始まる・・・
引っ越しをして、新しい人生を始めた私は、現在の主人と出会いました。この頃は、周りの友人たちの出産ピークも過ぎていました。妊娠できないかもしれない不安を抱えながらも、
妊活中に経験した下腹部の激痛が頭をよぎり、何も行動を起こせずにいました。
唯一、意識して実行したのは、友人から「スカートよりパンツが冷えなくて良いんだよ」とのアドバイスを受けて、スカート派からパンツ派にチェンジすることくらいでした。
主人は「子供が出来たら可愛いだろうね。出来なくても、2人で楽しく暮らしていけたらいいね。」という考え方の持ち主でした。私は、そういった優しさに触れながら、生まれて初めて「この人と一緒に子供を育てられたらいいな」と心から感じたのを覚えています。
生理周期も安定していなかったので「やっぱり産婦人科へ行こう。妊活を始めよう。今度は卵管通しだって、痛くても挑戦しよう!」と決意できたのが、1月のまだまだ寒い頃でした。
ようやく重い腰を上げて、地元の産婦人科へ受診をしに行ったその日のことです。
「妊娠していますね。予定日は9月下旬かな。」
「え?」のひと言が、口をついて出てきました。
しばらくしてから「私は排卵していなくて、妊娠できない体質なんですけど、本当ですか?本当に赤ちゃんがいますか?私のお腹にいますか?生まれますか?赤ちゃんがいるんですか?」と何度も何度もドクターに同じ質問をして、結果を確認しました。
奇跡
以前かかっていた産婦人科のドクターが話してくれた”奇跡”は、私にとって気休めではありませんでした。
私は子供に”貴重な人”との思いを込めて「貴」という漢字を含む名前をつけました。子供が幼稚園児の頃「”かあかん(私)”の水の中で、すいーって入って泳いだ。くらかった。」とお腹にいた頃の記憶を話してくれたこともありましたが、今ではそう話していたことも忘れて、ずいぶん大きくなりました。
話すと笑われてしまいそうですが、妊娠が判明する前、たった一度だけですが、ゆったりした気分で湯船につかりながら「おいでー。ここに来ても良いんだよ。」と、思いながらお腹をさすったことを覚えています。あれは、何だったのだろう?と今でも思い返すことがあります。子供が教えてくれた”胎内記憶”とつながりがあるようにも勝手に感じています。
”妊活の経験”としては、私のような話では頼りない情報かもしれません。妊活は個々によって千差万別であり、私よりずっと苦しい思いをしている男性や女性の方は多くいらっしゃいます。排卵誘発剤を飲んでいたくらいで、「こうしたら良い。こうするのは良くない。」などと大きなことは何も言えません。
繰り返すことになりますが、伝えたいのは産婦人科のドクターが話してくれたこの言葉だけです。
「時として、女性の体は数値では計れない。僕たち(医者)が想像できないほどの”奇跡”を起こすことがある。」
産婦人科の検査で打ち出された数値や結果に、一喜一憂しながら苦しんでいらしゃる方にお伝えしたいのです。”女の人に秘められた可能性は、本当にすごいんだよ”
私は医療の専門家ではないので、女性の体のメカニズムについて正確な説明をすることは出来ません。しかし、これまで経験してきた中で思い返せば、産婦人科医による治療としては終了していたはずの”私の妊活”が、別の形に変わって体や心の中でずっと続いていたのではないか?と強く感じてやまないのです。