1人目の妊娠と甘い思い込み
1人目を妊娠したのは29歳になってすぐのことでした。結婚を理由にわがままな転勤をして、3年が経とうとしていました。自己都合の転勤だから3年ぐらいは子どもを作らずに…と思っていた私は、今で言う妊活を開始したところ。
青天の霹靂と言わざるを得ませんでした。というのも、学生の頃から酷い生理不順、母も不妊治療を経て結婚5年目に私を授かったぐらいの筋金入りの、子宝に恵まれにくい血が流れていると思っていたのですから。順調に9カ月の妊婦生活を経て、無事に長男を出産、昔から憧れていた『30歳までに第一子』を実現することができたのです。
その時私はすっかり思い込んでしまっていたのです。自分が妊娠しやすい体質なのだと。望めばすぐに授かると。しかしそれは大きな勘違いだったのでした。
長男を出産した後の私は、漠然と3歳差ぐらいで2人目が欲しいと思っていました。2歳差は大変だと聞くし、とはいえそれほど若く第一子を出産しているわけでもないし…とただただ漠然とそう思っていました。
そして長男と3学年差になるだろう出産時期を逆算して、ご近所で評判のいい産婦人科の門を叩きました。とにかく酷い生理不順だから、排卵のタイミングをクリニックで調整してもらおうというのがその目的でした。排卵の時期さえ分かれば、きちんとタイミングを取れば、すぐに2人目を授かる、そう思っていました。
結果につながらない毎日
ご近所で評判の産婦人科は、1日に何件も分娩を抱えているような、妊婦さんで溢れるところでした。自分もすぐにそうなるのだと、ほぼ何の不安もありませんでした。ところが毎周期、毎日のように痛いホルモン注射を打って、排卵誘発剤を飲んでタイミングを取っても、一向にいい結果にはつながりません。
通院を始めて1年にもなると、妊婦さんのお腹を見るのも辛くなり、目を背けるようになりました。やはり不妊専門のところで、妊婦さんを目の当たりにしなくてもいいところでお世話になった方がいいと思い、転院するに至りました。
転院した先の不妊クリニックは、開業して間もない女医さんの医院でした。そこはタイミング療法だけではなく、人工授精から体外受精に至るまでを手掛けていました。
不妊専門クリニックというだけあって、まずは私と主人の検査が始まりました。よく分からない数値とよく分からない説明。
この女医さん、ちょっと苦手かもと思った記憶があります。とはいえ、以前通っていた産婦人科の先生に対しても信頼が厚いという思いはなかったので、病院の先生とはそういうものかとの思いもありました。
検査の結果は決して芳しいと言えるものではありませんでした。
卵巣年齢を表すAMHの数値は実年齢よりもだいぶ上のそれで、目の前が真っ暗になる思いでした。なぜ、1人目はあんなに苦労なく授かったのに…。
特にこの時期は、友人も2人目を妊娠したり、出産したり、周りでもベビーのニュースを耳にすることが多かったため、どうして自分だけという気持ちが募りました。(決して自分だけなどということはないのですが。)
そこにもう一つ追い打ちをかける検査結果が伝えられました。それは主人の検査結果では、体外受精でないと妊娠は厳しいというものでした。経済的な負担と精神的な落ち込みに、まるで出口のない真っ暗なトンネルの中にいるような気持になりました。不妊治療を始めてから、月経がくるたびにとても悲しい気持ちになりました。
そんなつらい時の支えは、お友達ママさんとのおしゃべりでした。自分自身も何度も流産を経験したということや、なかなか授からなくて辛い思いをしたということや、苦労なく授かったけど末っ子ちゃんが心臓に病を抱えていたこととか、こちらが心のうちを打ち明けたことで、何度受け止めてもらい、励ましてもらったかわかりません。
高度不妊治療に対して躊躇する気持ちはありましたが、体外受精経験者の友人たちもそれを経てお子さんを授かっていたので、できるだけ前向きにその日を迎えました。
採卵できた卵はたったの5つ、そのうち胚盤胞に至ったのは2つ。それほど状態がよくなかったので、2つとも同じタイミングで体内に戻しました。数日後の検査で、結果は陰性でした。その時女医さんはこう言いました。「もう残っている卵はありません。今後をどうするか、ご主人ともよく考えなくてはいけません。」何十万と支払ったのに、なんて淡々とした、心のない言葉だろうか…私はそのクリニックに対して心の扉を閉ざしました。寒い日でした。暗くどんよりした曇り空にさらに心が塞ぎました。
前向きに結果を求めて
今後のことを考えようと思えたのは、それから少し経って暖かくなった頃でした。どこかこれを最後に他の病院に行こうと思いました。
病院を変えると、また最初から検査が必要になったりと心も身体も重いものです。それでも行こうと思えたのは、信頼の置ける医師である後輩にアドバイスをもらったからです。
循環器内科医である彼は、自分は専門ではないのでと同僚の産婦人科医に、評判のいい不妊クリニックを聞いてくれました。返事のメールには医師間で評判のいいクリニック名とこんなことが書いてありました。「医療においては医師と患者の信頼関係は絶対条件です。今のクリニックを信じられないなら、迷うことなく病院を変えましょう。不妊治療は時間との勝負でもあります。」と。
そのメールに背中を押してもらい、私は古くからある不妊クリニックに電話をかけました。
その電話に出てくださった受付の方は、とても対応がよく、ここならもう一度頑張ってみようという思いにさせて下さいました。初診の日、院長先生は「とりあえず何回か人工授精をしましょう」とまさかのステップダウンの提案をされました。男性の検査にはムラがあるし、まだ若いからトライしてみましょうということでした。
若いですかと問いかけた私に、うちに来る体外受精の患者さんはもっと上だよと笑って下さったことで、ふと心が軽くなりました。そこでの治療は今までで最も負担の少ないものでした。排卵誘発に関しても、通院回数が少なく、最低限の治療で最大限の結果を得るような進め方をされていました。
その頃旧友に東洋医学の併用を勧められたこともあり、鍼灸治療を併用することにしました。身体を整えることで妊娠しやすくなればと考えたためです。
人工授精での治療はすぐに結果には結び付きませんでしたが、鍼灸治療を始めて2~3カ月過ぎた頃驚くべき変化が起こりました。これまで着床ギリギリぐらいまでしか厚くならなかった子宮内膜が、以前の3倍近くになったのでした。いい結果に繋がるかもしれないという思いと、もしこれでダメだったら妊活を辞めようという割り切った気持ちが生まれ始めました。医師が勧めるような病院で、東洋医学も併用して授からなければ、もう諦めようと思うようになったのです。
4度目の人工授精
3度目の人工授精で8割以上が妊娠するというような記事を読んだ記憶がありますが、4度目の人工授精でようやく妊娠に至りました。高温期が少し長くなり、ドキドキしながら妊娠検査薬を使いました。主人とは「妊娠してたらいいね。」という言葉とともに、「もう疲れたよ。」という言葉を交わしました。不妊治療を始めてから、2年以上が経過していました。